
こんにちは。mottoです。
今回は、ラスベガス旅行記を書きました。
全二話です。グランドキャニオンと、ラスベガスの街では生死について考えていましました。
それでは!第一話どうぞ!
急峻な崖にバームクーヘンのように刻み込まれた幾重もの地層は、赤茶けた地肌を露わにしていてその層ごとに微妙に異なった色彩の変化の違いを愉しむ事ができた。この崖は人類が生まれる遥か前から生を宿していて、全ての人の死を見守っていったのかもしれない。
もしくは何万光年も離れた場所にある使命を終えた恒星が、何万年も前に放った光が今、やっと地球で見えているように、もう既にその生命の営みを終焉していて安らかに眠る命無き骸を今、僕は見ているのだろうか?
もしそうならば、山頂にゆっくりと降り積もる真白の雪は、死者の尊厳を守る為に被せられる白い布、「打覆い」なのかもしれないと思った。
12月のグランドキャニオンに降る雪は、僕の眼鏡を白く曇らせた。その視線の先にあるグランドキャニオンは雄大で崇高な存在だった。まるで隕石でも落ちたように赤茶けた地表は、地球上のものとは思えない光景で、左右どこまでも続いていた。それはまるで宇宙のような無限の広がりを僕に感じさせていた。僕は瞬きさえも惜しいくらいに瞳を凝らして見入った。
冬の季節の特権で空気は冴えるように澄んでいたが、足元の雪は、観光客に無残にも踏まれて原形を留めておらず、水で薄まったカフェオレのような色合いでドロドロに液状化していた。そして僕がここで購入した赤いコンバースの靴を残酷な程に汚していて、靴の中にはグジュグジュとした嫌な感触を与えていた。
僕はアメリカに来たら必ず買おうと思ったこの靴で何故来てしまったのか激しく後悔していた。しかも吹き抜ける風は鋭く、まるで薄氷を割るゆうなピキピキとした痛烈な痛みを僕の頬や鼻に発生させていた。それでも視線はグランドキャニオンに向けられた。この厳しい風にグランドキャニオンも動ずる事なく耐えているのだろうか?
それとも本当に息絶えて何も感じていないのだろうか?
僕がそんな事を考えながら、長時間見ていたので口髭を生やしたマックと呼んで欲しいと自己紹介した白人のガイドが、もう行くぞというように手を上げて合図をした。まだ見ていたかった僕はツアーで来なければ良かったと思った。
未練を残して白いボックスカーに乗り込んだ。ボックスカーは満杯でグランドキャニオンからラスベガスに戻るのには5時間程かかる。
次、もしいくとしたらレンタカーを借りて一泊しようと思った。
ボックスカーに乗り込み、車窓を見ながらグランドキャニオンをもう一度思い出していると、僕は生きているんだと実感していた。
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サンキュー!
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