トルコ・アヤソフィア旅行記ーその瞬間にしか出会えない奇跡ー

トルコ


バンコクからドバイ経由でイスタンブールに着いたのは、午後4時だった。

イスタンブールは生憎雨で僕は傘を持っていなかった。市街地のホテルまでは電車とトラムを乗り継いで行こうと思っていた。50リラ程度で行けるのだが、乗り継ぎは一度地上にでるので傘を買うか雨の中を走らなくてはいけない。タクシーに乗れば300リラ程払わなくてはならないがホテルに直接行くので雨に濡れる心配はない。しかし300リラは少し勿体ない気がした。

どちらにすべきか思案しながら空港を出たら直ぐ目の前は、タクシー乗り場だった。黄色に配色されたタクシーが雨に濡れながら一列に並んでいた。幸いタクシー乗り場に人が並んでいる気配もない。電車の乗り場はもう少し歩かなくてはならない。雨は更に激しさを増していた。
大きなキャリーバッグを抱えて駅まで行くのはもう面倒だと思った。
タクシー乗り場で運転手に荷物を預けて英語が喋れる受付の女性に行先を告げて幾らかかるか聞くと、多分300リラくらいと答えた。僕は軽く頷いて少し硬い皮で出来た後部座席に乗り込んだ。
運転手がトルコ語で話し掛けて来たが、メルハバしか分からなかった。

僕は、運転手の話しを適当にやり過ごし窓の外に目をやった。窓に落ちる雨粒の先に白人の5歳くらいの男の子が母親らしき女性に手を引かれて、雨の中を駅に向かって走り出しているのが見えた。

あの2人は旅行から帰ってきたのか、それとも異国からきたのか。多分帰って来たのだろうと思った。理由は無かったが。
そんな事を考えているとタクシーは出発した。男の子と母親が駅舎の庇に辿り着く所までは目にする事ができた。

タクシーがホテルに着いて320リラを運転手に支払い、タクシーに別れを告げると雨は止んでいた。
あの親子はもう目的地に着いただろうかと考えた。今頃お母さんに促されて電車に乗ってる頃かもしれないと思った。

年季の入った大理石で出来たホテルの前の階段に足を掛けるとポーターが恭しく僕のスーツケースを引き取った。僕は彼に荷物を預けて受付にチェックインをしに行く。

受付で赤い日本パスポートを見せると、「ohコンニチハー。」と髪をビシっと櫛とジェルで整えた若い男性受付が日本語で言った。

僕は「こんにちは!」と出来るだけ明るい笑顔で返した。手渡された紙に名前とか電話番号を書いていると受付の青年が「今日は空いているから部屋をアップグレードしといたよ。」とウィンクしながら英語で朗らかに言うと僕に鍵を渡した。
彼の瞳は吸い込まれそうに美しいペリドットグリーンをしていた。

鍵はクラシックな差し込み式で宝箱でも開けるのかと思うぐらいに大きかった。

ポーターに案内されて5階の部屋に到着して驚いた。6階がレストランだったから5階は客室では1番高い位置にあった。

僕は1番安いシングルルームのシングルベッドを予約していたのだが、案内された部屋を見て驚きを隠せ無かった。

角部屋でしかも部屋が二つあった。シングルルームが二つ入りそうな広さの部屋にはキングサイズベッドがゴールドのオリエンタルなベッドカバーをされてドアから1番遠い場所に鎮座していた。

しかも窓の外にバルコニーが付いている。このホテルは多くても40部屋くらいしかない家族経営に少しの従業員がいるような小じんまりとしたホテルだった。

大手のホテルならもっと豪勢にして相当な値段をとるのだろうが、このホテルでは多分精一杯ラグジュアリーにした努力が伺えた。
多分このホテルで1番いい部屋だ。

ポーターに少し多目のチップを渡して部屋に1人になると部屋の散策を開始する。バスルームには大理石の上にブランドモノのアメニティがところ狭しと置いてある。
アメニティの中にはにバラの匂いのする入浴剤もあった。

バスタブはややクラシックだったが足を伸ばしても余るくらい広くて、トイレとバスタブの間には、カーテンの仕切りではなく、窓の様な扉が備えつけてあり、水が出ないように仕切る事ができた。

そしてバスタブの内側には銀色の排出口のようなものが底面や側面などに数カ所取り付けられていた。なんだこれ?と一瞬思ったが、直ぐに思い当たり、まさか?と思って二つのお湯と水を調整する蛇口を捻った。蛇口から出てくる水に手を伸ばして水温を確認しながら水を注ぎ、お湯がある程度、溜まるのを待った。

時間がかかりそうなのでその間にバルコニーにでた。バルコニーからはアヤソフィア(ブルーモスク)が見えた。このホテルの中で1番良く見える位置だった。

アヤソフィアは先ほどの雨が止んだばかりで曇っていたが、その全貌をはっきりと確認する事ができた。アヤソフィアは、ミナレットと呼ばれる4つの塔を4隅に配していてそれが天高く聳えていた。

特徴的なモザイク紋様を配した黒と灰色が混じりあった様なドームの上には金色の小型版ミナレットとも呼べる装飾が施されていた。

秀逸なのはドームの下の建屋の部分で外壁がピンク色とクリーム色が複雑にマーブル模様に混ざり合っていて、先ほどの雨の影響で濡れていた。それは、表現し難い哀愁の様な雰囲気を漂わせていた。

そしてこの風景を石畳が醸成する雨の匂いが、柔らかく包んでいて、東京で嗅ぐアスファルトで生成されたツーンとした人工的な匂いというよりは、新しく購入したタオルを陽だまりで乾かした後のような柔らかで凛とした匂いがした。それは僕を寛いだような気分にさせていた。

丁度夕方のアザーンが始まっていた。アザーンを聞きながら見るアヤソフィアは、絶対的な神秘的な存在だった。きっとアザーン、雨上がり、アヤソフィアのどれが欠けてもこの景色は生まれていない。

幾つもの偶然が重なってこの瞬間に立ち会えた事が奇跡のように感じた。

そして僕がタクシーを選ばず、受付がアップグレードしてくれなかったらこの景色に出会う事は永遠に無かった。

丁度胸の高さくらいまである手摺りに両腕を乗せて更にその上に顔を乗せて時が止まったようにボーッと眼前のアヤソフィアの景色を眺めていたのだが、僕は何故だかそこで歯磨きをしたくなった。

浴室のアメニティの中から歯ブラシと歯磨き粉が入った袋をバルコニーに持ってきて袋を歯で噛み切り、中の小さなチューブから白い歯磨き粉を絞りだして歯ブラシに付けると、一心不乱にバルコニーで歯を磨いた。

何故だか分からないが、身をここで清めたくなったのかもしれないし、神聖なアヤソフィアに反抗したくなったのかもしれない。

歯を磨いてみると何か凄く爽快な気分と贅沢な気分がした。直ぐに満足して浴室に戻り、口をゆすぐ。バスタブを覗くと、お湯はまだ半分くらいしか入っていなかった。

僕はもう一度バルコニーに戻った。バルコニーの眼下の石畳にはレストランがあってピザの原型と呼ばれるトルコ 式ピザのピデが描かれた黒い建て掛け式の看板を出していた。その店は西洋人で溢れていてみんな楽しそうにビールやらワインやらを飲んではしゃいでいた。

そしてはしゃぐ西洋人の隣でケバブを焼く縦型のロースターが置いてあり、従業員のおじさんが串刺しされた肉の塊を細長い包丁で削ぎとっている所だった。そしてそこからは香ばしい匂いが風に運ばれてバルコニーの上にまで届いていた。その匂いは雨の匂いを邪魔する事無く、時に調和して時には交互に僕の鼻腔をくすぐった。最高だ。

しかもバルコニーの扉を閉めると防音でもされているのか外の騒々しさはほとんど聞こえてこなかった。その後トイレとクローゼットを見た。ガウン、金庫の他にアイロンとアイロン台まであった。トルコ人のホスピタリティに感動した。

僕は浴室に戻った。ある程度お湯が溜まっていたので蛇口を捻って排出を止めると、息を飲みながらバスタブの横にあるボタンをゆっくりと押した。バスタブは鈍い機械音を発するとボコボコと浴槽内に細かな気泡を銀色の排水口から吐き出した。僕は1人で右手を天に突き上げた。

ゆっくりとジャグジーを堪能しながら旅の疲れを癒していたのだが、1番安いシングルルームでこのアップグレードはなんだか申し訳ないように思えて来てしまった。そんな事される理由も無かった。

風呂から上がると髪を乾かして洋服に着替えて外食する準備をした。キットカットの桜抹茶味とグレープ味、桃味をバッグに入れた。

僕は旅行中に何かやって貰った時のお礼やベッドメイクのチップと一緒にキットカットの抹茶や桜味をあげる事にしている。

キットカットならどんな味かほとんどの国の人が知っていて警戒しないかなと思っているのだが、相手はどう思っているのかは分からない。だから自己満足ではあるのだが、キットカットの桜や抹茶味なら日本らしいし、多分彼らには珍しい筈だと勝手に思っている。

抹茶や桜味が通じない時用にグレープだとかイチゴだとか桃も混ぜたりする。日本ほどこれだけのフレーバーがある国は珍しい。大抵の国のキットカットはオリジナルとちょっとビターな味があるだけだ。それに成田空港で売っていて買いやすい。ただ、熱い国や季節だと溶けてしまって使えないという欠点はあるのだが。

受付にはまだあのペリドットグリーンの瞳の受付がいた。明らかに年上の従業員とかに指示していてもしかしたらオーナーか、オーナーの息子とかなのかもしれない。

僕は彼がいるカウンターに近づいて、感謝とシングルルームの値段でこのアップグレードは申し訳ないし本当にいいの?と伝えた。そしたら笑って、「大丈夫、大丈夫。全然いいよ。ほらアレ見て。」と受付の反対側のドアの入り口を指刺してまたウィンクした。

僕は指刺された方を振り替えった。僕がホテルに入った時にはポーターが死角になっていて気がつかなかったのだが、そこにはデカデカと日章旗が壁に掲げられていて、日の丸の下には’痛みを分かちあいましょう We share your sorrow ‘と書かれていた。

一瞬何故だか理解出来なかったが直ぐに気がついた。そう、僕はちょうど東日本大震災の起こった年の5月にトルコを旅していたのだ。

それにしても、こんな家庭的なホテルで偉くもなんでもない一泊するだけのたかだか観光客に日本人というだけでそんな心意気のある事をしてくれるとは思わなかった。

そう思った瞬間言葉に詰まってしまった。僕は、出来るだけ平静を装って”ok ,I understand Thank you “とだけ言ってキットカットを彼に無理矢理渡すと、逃げるように外にでた。

夜7時ではあったがトルコはまだ白夜のように明るくて日中の鮮やかな青空ではなく紫がかった青色をしていた。そしてその青紫の視界の先に幻想的な黄色い三日月が一つ浮かんでいた。

その先の高台の頂上にはガラナ塔が見えた。

僕は歩いて先程見えていた西洋人で溢れたレストランに向かった。行きたかったレストランがあったが、もう近くで済ませて早くホテルに戻ってあの部屋を堪能ようと思った。きっとそれが礼儀だと思った。

多分、あの部屋は僕が受付に来て日本のパスポートを見せた時に、あの青年が、咄嗟の判断であの部屋を手配したのだろう。そう思ったら遠くに見える白夜のガラナ塔が薄く滲んで見えた。レストランはもう目の前だった。

トルコではイスタンブールだけで無く、カッパドキアなどでも東日本大震災を応援する横断幕が至るところにありました。何故なのか調べたら常にロシアの脅威にさらされていたトルコは日露戦争で勝利した日本に親しみを覚え、1890年にエルトゥールル号遭難事件というのがあり、トルコ 人の遭難者を助けた事などかあるようです。今思うと全部写真に収めてくれば良かったと思います。ただあまりにも国中に溢れていてキリがなかったのも確かです。そういう意味でもこの時期にトルコを旅した事は奇跡のように感じました。日本は、トルコに対して金銭的な事ではなく何か出来ているのでしょうか?

最後までお読み頂き有難うありがとうございます。

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コメント

  1. ピレッティ より:

    和歌山県串本という町の岬に記念碑があります。ご存知かと思いますがエルトゥール号というトルコ海軍の艦船がかつて遭難した際に日本人がトルコ人乗組員を救助したことからトルコの親日が深まったと言われていますね。偶然ですが私もイスタンブールに旅行したとき、ボスポラス海峡を見渡せるホテルに泊まりました。アヤソフィヤも一望できた。朝焼け夕焼け、夜の光を浴びたアヤソフィヤは忘れられない光景となっています。そんな旅の記憶を呼び戻してくれました。ありがとうございます

    • motto motto より:

      ピレッティさん
      恥ずかしながらエルトゥール号事件は、トルコから返ってきて知りました。何故あんなにも親日なのかと。
      我々は、偉大なる祖先の方が残した日本人というブランドを汚さぬようより高めるように生きていかないとですね。

  2. みか より:

    トルコは親日国と言われますが、ホテルでのたった一幕でその様子がとても良く分かるブログでした。

    キットカットの抹茶や桜で感謝を伝える所も、斬新で面白いですよね。
    外国の方には抹茶の味、どんな感じなのでしょうね?

    いつもブログを楽しみにしておりますので、今後も更新頑張ってください!

  3. asainthesky より:

    トルコは親日国だと言われてますもんね。“痛みを分かち合いましょう” なんか泣いてしまいそうになりますね。
    これからも良い関係を継続して築いていきたいですね。

    • motto motto より:

      asaintheskyさん

      コメント有難うございます!
      トルコがこんなに親日だなんて旅に出るまで知りませんでした。。。昔の恩を覚えているなんて義理がたいですよね。

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