ベトナム・ホイアン旅行記ーこの街が僕に思い出させた景色たちー

アジア

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ベトナムホイアンの夕景はなぜか僕を懐かしい、寂しい気持ちにさせた。

金色と黒い中国風な紋様に形どられた装飾と美麗な紅いベトナム 伝統のランタンの飾りが欄干に縦に3つ吊るされて等間隔に続く橋の袂の水辺に僕はいて、川面をボンヤリと眺めていた。欄干に吊るされた濃く紅いランタンの色味は泥を含んだ少し茶色がかった水面にユラユラとした水影を描き出していた。そしてランタンは時折、僅かに風に揺れて聞こえるか聞こえないかという微細な音を発していた。

それは橋の上を行き交う人々の喧騒の中でも聞き取る事ができた。橋中央部の下では、赤と白の混ざった鯉と黒一色の鯉が橋の上から餌が落ちて来ないか待つかのようにゆっくりと円を描く様に泳いでいた。僕が川に近づき意味もなく水面に触れるとヒンヤリとした水の冷たさが伝わってきた。

僕の右手が水面に触れて出来た波紋は半円を描き、広がると、手前に映し出されたランタンの御影をゆっくり通過して後ろに伝播していった。
やがて鯉達の近くまでに達すると消えた。
鯉達は波紋に気付くと逃げて行ってしまった。
僕は鯉達に少し申し訳なく思った。

僕の右手側に橋があったが左手側には、橙色の夕日が河川に細く長く川を行き交うボートの間を縫うように影を落としていて、その影は僕の方向に向かって真っ直ぐ伸びて来ているように思えた。僕はただただそれを美しいと思って見ていた。

見ているうちにその夕日は、僕にいつか遠い日の夏祭りの帰り道の記憶を呼び起こしていた。僕の祭りの帰り道の記憶は、川沿いを歩いて帰る。コンクリートの堤防の上に出来た道を歩いて帰るのがお気に入りだった。

母親と決めたルールで日が暮れる前に僕は、家に帰らなければならなかった。堤防から見る川辺に伸びた夕日の影。祭りの楽しげな騒めきや、太鼓や笛の華やいだお囃子が段々と遠くなって離れて行く。その時の寂しさを美しい夕日は優しく見守っているように思えた。

しかし、それは家につけば甘い余韻と共に目を閉じれば思い出す事ができた。お囃子の心踊るリズム、綿菓子の甘い匂い、華やかな出店の光彩、木々の間を抜けるジィジィと耳にこびり付く蝉の鳴き声、花火が始まる前の人々の高揚感。それ等を思い出す瞬間が、少年期の僕は無償に好きだった。

少し感傷に浸っていると少しお腹が、空いてきたので僕はその場を離れてレストランを探しに行った。どの店も混雑していた。その中で木造瓦屋根で比較的空いている店に入った。

1人と伝えると二階の奥まった席に案内された。そして牛肉のフォーとパイセオと言うベトナム風オムレツを頼んだ。フォーの麺はモチモチとした食感で澄み切った透明なスープの上に緑鮮やかなパクチーとよく煮込まれて柔らかそうな牛肉が乗せてあった。
口に含むと麺もスープもとても優しい味がした。

パイセオは木製の丸い皿の上に緑のバナナ葉っぱが乗っていてその上に置かれていた。中身はマッシュルームやモヤシ、ピーマン、人参等が入っていて、緑や黄色、赤のコントラストが目にも鮮やかで特大とも言えるサイズだったが、すぐに食べてしまった。

会計を済ませてレジを出ると外はもう夜だった。街中にランタンに光りが灯されていて、夜のランタンはより一層美しさを増していた。その朧げな光に照らされたフランス領時代を彷彿とさせる街並みは幻想的で魅惑的だった。

夜になると少し肌寒く感じたがまた橋の袂に行ってみたくなった。どんな美しさなのだろう。人混みを掻き分けて歩く。

息を切らして橋の袂に着いたが、残念ながら欄干のランタンは光を放っておらず橋もライトアップされていなかったので暗闇の中に埋もれていた。少し残念に感じた。ただ行き交う人々の群れは更に人混みを増やしていた。

僕はボートに乗る事にした。
ボートは、自分で漕ぐ気でいたのだがベトナム 様式の竹笠をしたおばさんが櫂で漕いでくれるらしい。30分で川を下り、戻ってくる。僕は英語で値段交渉してボートに乗り込んだ。

ボートは乗り込む時と動き出す瞬間に少し揺れたが、流れに乗り安定すると快適だった。微かに風を感じる。左右の川沿いにはレストランや雑貨店などが立ち並び、ランタンのボンヤリとした光彩が情緒的でファンタジーの中にいるような気分にさせた。

しばらくはその煌めきを眺めていたが、
僕は気持ちよくなってボートに寝転んでいいか?とゼスチャーで櫂を漕ぐダオさんに聞いた。ダオさんはオッケーオッケーと左手の親指と人差し指で丸を作った。
寝転ぶと真上に街の灯りに少しボヤけた漆黒の空が見えて,いくつかの星が瞬いていた。

ボートを漕ぐ度に発生する左右の揺れと、パシャパシャと櫂で水を弾く音が心地よく感じた。
僕は寝転びながら、遠い夏の日の大学の帰り道、若草の川縁で寝転んだ日の事を思い出していた。

大学の3階生でこれから就職活動になる。僕は何をしたいんだろう。生まれて初めて感じた不安だった。

何処か海外で働ける会社に漠然と入りたいなと思っていた。
留学の選択肢は金銭的に厳しかった。

そんな事を考えていたら、遠くで打ち上げ花火の音がした。打ち上げられる度に人々の歓声が上がっていた。両腕を使い上半身だけ起き上がると左手の街並みの先の上空に、丸く大きく花開いた赤や淡い青、橙色の花火が何発も見えた。

本当に夏祭りに来たような気がした。

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コメント

  1. ピレッティ より:

    夕日をみると突然幼少期に記憶が戻ることがある。それは家に帰る時間が来たことを自然が知らせてくれていたからかもしれないし、あるいはそれが潜在意識に刷り込まれているのだろうか。成人に至る過程で、いつのまにかそういった自然現象から時間感覚をつかむといったことが薄れていくのも事実です。しかし、なぜか旅先で落日をみたり、普段と違う環境に身を置いたときによみがえる過去の記憶というのは突然舞い降りて来るので戸惑うことが多いのですが、このベトナムでの落日を想像して非常に共感できました。随所に過去と現在を繋ぐキーワードがちりばめられており、不思議と自分の未知の場所なのですが、懐かしさを感じました。

    • motto motto より:

      素敵なコメント有難うございます。
      夕日が少年時代を思い出させるのはど定番ですが、この夕日は正にそんな感じでした。是非ピレッティさんもコロナ収束後、ホイアンに行ってみてください。

  2. Ken より:

    提灯、花火、夕日。
    異国にいながらも、ノスタルジーを感じてしまう要素がそこにはあるんですね。

    一人旅だからこそ、こうしてゆっくりと追憶にひたってみる事が出来るのかもしれません。
    読んでいて私も何故だか懐かしさを感じてしまいました。

    • motto motto より:

      Kenさん

      コメント有難うございます!ホイアンは、なんか浴衣で歩きたくなるそんな街でした。ランタンも凄く良かったです!

  3. asainthesky より:

    異国の地であっても、ノスタルジックな景色に昔の記憶が蘇るのはいいですね。楽しいだけの海外紹介でなく、こういった情緒ある文章は素敵だと思います。

    • motto motto より:

      asaintheskyさん

      コメント有難うございます!

      ベトナムは本当に懐かしい気持ちにさせてくれました。夕日も綺麗だったなー。日本人インスタ女子の方も一杯いました!

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