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こんにちは!mottoです!
もう、梅雨ですね。
雨だと僕は憂鬱になるんですが、知り合いの一人は、雨だと野球部の練習が休みになる気がしてホッとするらしいです。
もう社会人10年以上経ってもだそうです。どんなキツい練習してたんですかね、、、僕はゆっくり生きていきます。笑。
ペルーに行った時の事を小説風に少し背伸びして書いていきます!日本からはほぼ地球の真裏の国ですがやっと行ってきました!それではどうぞ!
ペルーとマチュピチュは、僕にとっていつも特別な存在だった。
いつからか覚えていないけれど多分、僕が海外旅行の楽しさに気がついた時からだから、もう20年以上になると思う。
ゴルフ以外は出不精で家にいる僕が、上野で行われていたペルー展には自分でチケットを買って行った程だ。
普段〇〇展とかいうのは見向きをしないくらい全く興味無いのに。
そして夢の中で何度もマチュピチュを旅してきた。
自分でも何故そんなに惹かれてきたのかよく分からない。
インカ、マチュピチュというミステリアスな響きかもしれないし、ガイドブックなどで見る奇跡的に美しい写真、世界にあまたある遺跡の中でも特徴的で神秘的な雰囲気のせいなのかもしれない。
もしペルーが日本に近ければ、すぐにでも行ってそれが何なのか確かめていただろうと思う。
でも距離や休暇、金額の面で20年以上もの間、休暇の計画を立てる度に常に候補に上がりながらいつも断念してきた。
南米は学生時代には金額面で、仕事を始めてからは時間の面で本当に遠い国だ。
或いはその手に入らない距離感も神秘性を高めていたのかもしれない。
僕とペルーの関係を語るのに少し熱くなってしまったけどそれくらいペルー、マチュピチュは僕にとって特別なものだった。
↑クスコの街で見たアルパカ
そして社会人になって数年が経ってから僕はペルーとボリビアを巡る予定を立てた。
赴任していたメキシコからなら直接距離にしたらそれ程遠く無いので容易と、高を括っていたのだが、自分の甘さを思い知る結果となる。
自分なりに調べたマチュピチュに向かうルートは下記だった。
サカテカス ーメキシコシティーリマークスコーマチュピチュなのだが、サカテカス からクスコまでは飛行機で行く。それだって3台の飛行機を乗り継ぐ。
そこからがまた大変でクスコで1泊してクスコのホテルから列車駅に向かいう。
更にそこから1時間半列車に揺られて、マチュピチュの麓の町につく。
↑マチュピチュの麓の町
麓の町で更に一泊して次の日の朝、バスでマチュピチュに20分程かかる。
初めにそれを知った時に自分で手配するのは面倒だと思ったし、仕事の引き継ぎの準備やお客様への挨拶等で多少、慌しかったので、全て旅行会社にお願いした。
旅行会社の男性は、僕の我がままや、料金に関して丁寧に対応してくれた。
それにしても、ペルーに旅に出る前からマチュピチュの遠さを改めて感じていた。
↑朝靄に隠れてワイナピチュの見えないマチュピチュ
スペイン人の侵攻を避ける為にインカの人々が築いた山間の都市であるから、秘境にある事は前から知ってはいた。
それでも世界に名だたる観光地であるこの場所ならペルー政府が、観光客をある程度見込んで、至近に空港を建設していて、その都市から日帰りで行けるのでは無いかと生温い考えを持っていた。
しかし今、その遠さを改めて実感するとそこに行く事が出来る有り難みや、憧れ、格別感を日増しに増幅させていた。
↑マチュピチュ麓の街の朝
出発の前から、マチュピチュに対する身勝手な期待をいだいていて、旅立つ日を、まるで何かに憑かれたかのように指折り数える事になっていた。
そして不思議な事に旅立ちの日が近づく度にあんなにも憧れた旅なのに、今度は本当に行けるのだろうか?という不安に変わって来ていた。
あまりにも長い間、尊く、絶対的な存在であったマチュピチュだったから、それを間近で見れるという事実が俄かにも信じ難く、旅を目前にして事故やら病気など何かの不幸が起きて、直前で行けなくなるのでは無いかという不安に変わってしまっていた。
だから出発まではなるべく夜の運転を控えるなど臆病な程、危険を避けて生活をしていた。
それ程までに僕は、マチュピチュを神格化していた。
↑手前の黄色い飲みものが、ペルーではコカコーラより売れているインカコーラ。甘いシロップのようで炭酸はあるけどコーラの味はしない。
最後までお読み頂き有難うございました。
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