旅をする時にいつも考える事がある。
それは僕は今、自由なのか孤独なのかという事だ。何故だか分からないがいつからかそんな事を考えながら旅をしていた。
僕は北京にいた。目的地は紫禁城(故宮)だ。僕が社会人5年目ぐらいの時に、ある映画を見た。映画の内容はあまり覚えていないが、圧倒的な存在感を放つ真紅の宮廷は筆舌にし難い美しさを誇っていて、僕は文字通りテレビに釘付けになった。
あの映画を見た時から僕は紫禁城の虜になってしまった。この世の中にこんなにも広大で絢爛な建築物があるのかと。
ただそれは坂本龍一による美しく流麗で厳かな旋律と巨匠ベルトリッチ監督による映像の調和のマジックのせいかもしれない。本当にそうなのかこの眼で確かめないといけないと思った。
中国は日本から近いのでその年のゴールデンウィークに旅に出る事が出来た。そしてこの日、実際に足を運び、この目で確かめる事ができた。
紫禁城は想像の何倍も広大で悠然たる姿をしていた。真紅の外壁は全てが完璧に真紅に塗られている訳ではなく所々にゴツゴツした地肌が浮き出た部分も認められたが、そこに悠久の栄華、衰退の歴史を偲ばせた。
高く長い城壁の赤はどこか血のようでも有り、この場所で倒れた兵の怨念の結晶であるかのようで、心なしか威圧感と畏怖の気持ちを僕に抱かせた。
紫禁城の中は幾つものこの赤い城壁によって区分けされていて橋のかかった豪勢な庭園があったと思えば、平坦に駄々っ広い場所があったりとそれぞれに特徴があって僕を飽きさせなかった。
そして橙色の屋根や扉の細工には木目細かい細工をしていてそれらを詳細に見て回ると予定の2時間ではとても足りない位、広大だった。
季節は5月で日差しはそれほど強くはなかったが優しい日差しという訳でもなく、日差しの先には嫌になるほどの人々がザルの上の豆のようにひしめきあっていて、その群衆の営みが醸成する濃密な湿気と熱気が、背負っていたリュックとTシャツの接面に池でも出来たのではないかと思わせるくらい大量の汗を産出させていて、背中やリュックのショルダーストラップの形に沿うようにグショグショに湿らせていた。
そして怒気でも含んでいるのかと疑ってしまうくらい早口な中国語が作り出す独特な喧騒に気が滅入りそうにもなっていた。それでも足は止まらなかった。歩みを進める毎に何故だか圧倒的な自由を感じた。
それは紫禁城を見るという物理的な目的を達成したという爽快感かもしれないし、紫禁城の美しさに魅せられたという証明なのかもしれなかった。
それとも人々の中を掻き分けて時には押し除けてでも進んでいくという行為に、抗う事の少ない自分の人生を投影して、そこに自由を感じていたからなのかもしれない。
次の日は朝6時の夜明けと共に紫禁城の後方にある景山(ケイザン)と呼ばれる小高い丘に向かった。小高い丘の上には小さな楼閣が設けられていて紫禁城が一望できる。
天気は雨が降りそうにはなかったが太陽が分厚い雲に遮られていて、昨日の日中の暑さが嘘のように肌寒く感じた。
楼閣に辿りつくには公園を抜けなければならない。
公園では数人のご老人の方々が10人ほど集まっていて、皆同じ紺色の中国服を纏っていた。何が起こるのかと思って見ていたら、1人のリーダーらしい御老人が、ラジカセのボタンを押し、胡弓の澄んだ高らかな音色を流し始めた。
それに合わせて気功のような緩やかな体操を始めた。僕はそれをすこし眺めていたいという衝動に駆られたが紫禁城の景色が見えるいい場所が取られるという懸念が、頭をもたげてその場を諦め、歩をすすめる事にした。
楼閣に続く階段を登ってその景色を目の当たりにすると自然と感嘆の言葉が漏れた。
紫禁城は赤い外壁と橙色の屋根で統一されていることは勿論分かっていたが、この場所から全景を眼前にするとその広がりと奥行きの両方を確認する事が出来た。
正面中央の太和殿を中心として真紅の城郭が左右対称にほぼ正方形に奥に向かって広範囲の敷地を囲っていた。その敷地の内側には橙色の屋根が配された大小の堂や亭が重なるように整然と並んでいた。
それぞれ一部の隙もない。紫禁城といえば鮮やかな赤が、特徴的だと思っていたがこの場所から見ると橙色の瓦屋根こそが主役であり、真紅の外壁や城郭はその脇役でしかなかった。
そしてその橙色の色彩は鮮明すぎるほど鮮明で光の加減によっては黄金色の輝きを放っていた。耳元には先ほど目にした老人達が流していた胡弓の妖艶とも受け取れる雅びな調べが聞こえていた。
そして太陽を遮っていた分厚い雲はこの場所に着いたとたんに流れ去っていて薄いスカイブルーの青空が顔を出していて、紫禁城の城郭や外壁、瓦屋根を更に鮮やかに際立たせていた。
何よりも風が心地良かった。前日の紫禁城で感じた密集した濃厚な空気と違い、この場所は遮るものが無い。風は5月の薫風で、新緑の若葉の生き生きとした清々しい匂いがした。そして思うがままに僕の顔や肩、胸、足、背中に爽やかに触れては吹き抜けて行った。
まるで自分が広大な土地を支配する皇帝にでもなったかのような錯覚がした。何故だか分からないが今、自分はこの二つの脚で大地に立っていてしかも生きているのだ。という至極当たり前の事実を深くリアルに実感していた。
朝早い事もあって僕の他には数人いるだけだった。どのくらいここにいただろうか。分からないが見学を終えて公園側に降りるとすでに先ほどのご老人の方々の姿はもう無かった。
僕は基本的に1人旅でしかもパッケージツアーとかはほとんど利用しない。ツアーでしか行けないとか個人でいくと高額な場合は仕方ないが、いく方法が無い以外はチケットやホテル、移動方法も自分で個別に手配している。
面倒ではあるがそのおかげで強行スケジュールを立てる事もできるし、一方で気に入った景色や遺跡が有れば少し長く留まる事も出来る。あまり好みでなければ早く切り上げる事も出来る。買いたくもない土産屋に行く事もない。僕が何故旅行が好きなのか。を考えると自由に行動できるからなのかもしれない。
一方で孤独を感じるのは食事の時だ。
旅行先で食べたいものがあったとしてそれが高級店とかだったりしても1人で入らなければならない。
今は1人で入る事は慣れてしまったが、旅行初心者の時は諦めて世界の何処にでもあるファーストフード等で済ませてしまい結局食べたいものが食べられず終わる事も多かった。旅先である程度のレストランだと大体、家族や恋人、友人など複数で食事している人達がほとんどだ。
その中で1番孤独を感じたのが中国だ。
中国人は大事な日や外食する時は家族で食事をする事が多い。家族というのはお爺さん、お婆さん、から孫達まで大家族という事が多かった。大きなテーブルで10人とか、時にはそれ以上で食事している事も多い。
その上、話声が大きくてザワザワしている。食事の量も一皿の量が2-3名分の分量の時がある。色々と試したい料理があるのに炒飯を頼むと1人では半分も食べきれない量が出てくる。
更にたまたまなのかもしれないが、ウェーターが総じて愛想が無かった。大人数しか基本的に相手にしないのか、或いは1人だと白い目で見てるのか日本人だからか分からないが、こちらに何か配慮する事が少ない。
呼んでも無視をしてるかのようになかなか来ないし皿の置き方もドンと置かれる事が多かった。なんだか疎外されているような気分がして「早く帰って。」と言われているような気がした。だから中国にいる時は出来るだけ早く食事を済ませて足早に店をでていた。
紫禁城の後、万里の長城に向かった。またしても人の多さにうんざりしたが、ここで見た景色や吹き抜ける風は一生忘れる事の出来ない見事さだった。書くと長くなるので自粛しようと思いますが、紫禁城に負けず劣らず素晴らしいものだった。
中国に来て僕はこれまでのどの国よりも自由と孤独を強く感じた。
僕は旅をしながら自由と孤独の両方を抱えながら生きていて、旅を続けている。口と鼻から酸素を貪るように吸いこんで、肺や心臓に途切れる事無く送りこみ、二酸化炭素を吐きだしながら。
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コメント
紫禁城は自分の頭の中ではぼんやりと実感がありましたが、このブログを読んで、圧巻の迫力に驚いています。
自分も旅が好きで、このようなスタイルはとても憧れますし、とても共感できます。
音や色彩、空気感といった描写と同時に、一人旅の命題とも言える自由とその裏側にある孤独を見事に表現されていて、ありふれた旅の記録描写とは異なり、とてもユニークだな、と思いました。
ぜひ、他の国々も読んでみたいと思います。
コメント有難うございます。
随分前の旅行なので、記憶が間違っているところもあるかもしれません。
世界一周できるか分かりませんが、出来るだけ多くの国を書いて行こうと思います!
路地裏に迷い込んだ猫はあたかもそこが通り道だったかのようにゴミ箱を踏み台にして塀に飛び移り木々を伝い屋根に達する。そして360°の世界に無限の一歩を踏み出す。mottoさん、休職期間が明けても旅を続けてください。
ひのっち様 素敵なコメント有難うございます!野良猫には野良猫の人生があって、飼い猫なら食事は保証されますが、自由がない。野良猫はその逆。どちらの方のが良いのか?それは猫に聞いてみないとわかりませんね。僕はどっちがいいのだろう。
「紫禁城=赤」
私もこの印象を強く持っていましたが、写真を見ると実は綺麗な橙色が占めているんですね!
外壁に施された鮮やかな真紅の色、極彩色の装飾をメインに見られることが多いかと思いますが、左右対称に整った建築美も素敵ですよね。
また、食事の件は中国人の文化的な一面も見えて面白かったです。
家族のスケールが大きいですね…(^-^;
確かにこの中での食事は若干心が折れてしまうかも…。
紫禁城の魅力が良く伝わってきました。
続編も楽しみにしております!
つばささん
コメント有難うございます!
景山からの景色だと屋根のオレンジの印象しかありません。凄く良かったです。
食事はマジで中国のレストランだと寂しかったです、、、、今なら多分行けると思うんですけどね。笑笑
自由には孤独が、孤独には自由がこっそりついて来ますよね。背中合わせというか。
中国人の普通に話してる時も喧嘩に聞こえる感じや、家族の結束力の強いところ、接客が無愛想なところなど、中国人の特徴がわかりやすく書かれてますね(笑)
それにしても紫禁城の迫力、写真からも伝わってきてすごいです!
asaintheskyさん
コメント有難うございます!
中国は人口も世界一だし、結束しないと世の中渡っていけないのかもしれませんね。ただ、もう8年くらい前なので今は違うのかもしれません。。。