香港・ビクトリアピーク旅行記ー僕の見た香港の夕景と夜景の違いー

アジア

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こんにちは。mottoです。

ご訪問有難うございます。 貴方が読んでくれるから、僕も書くことができます。 ありがとう。

これでもかと溢れんぐらいの観光客を詰め込んだ、二階建ての赤いバスは上部がオープンエアになっていて雑然とした香港の街並みを進んでいく。手を伸ばしたら巨大な看板にぶつかりそうに思えたが絶対に届かない絶妙な距離を保っていてそれはまるで近くても絶対に届かない満天の星空を思わせた。

香港の街は玩具が詰め込まれた道具箱のように隙間なく、そして雨後のタケノコが生えてそのまま放置されたようにビルが乱立していた。吸い込む息は排気ガスに侵されていて、行き交う人々の熱気がどこか息苦しさに似た感覚がした。

かと言ってそれが嫌だった訳ではない。寧ろ僕は好意的に受け止めていた。

東京も大都会だがそれ以上に濃密で決して綺麗とは言えない空気や、信号が青になって交差点を一斉に渡り始める歩行者達の光景や、ザワザワとしたドライな雰囲気は何処か世界を股にかけるビジネスマンになったような錯覚を僕に起こさていて、ビルの立ち並ぶ僅かな隙間しか空の見えないオープンエアのカフェで軽食と香り豊かなコーヒーを手にしながら、普段読みもしないニューズウィークでも読んでやろうかという気分にさせていた。

実際、香港の人達は北京で見た本土の人達と違う人種に思えた。同じ中国語で騒がしくはあったが、個人個人が騒々しいという訳ではなくそれぞれはあまり騒がしくないが全体的に見ると騒がしいという印象を受けていた。

クラクションの音も何度も鳴らされるという事もなく、一度注意の為に鳴らすだけで、抗議の為に長いクラクションを鳴らし続けるといった中国本土や東南アジアに見られるような喧騒は感じ無かった。

宿泊したホテルのエレベーターも4人入れば満員というくらい狭く、しかも旧式で、普段であれば遠慮をしたいような息苦しさだったが、それも何故だか異国に来た気持ちにさせていた。

観光が終わり、二階建てバスを降りた。目の前に雑然としたオフィスビル街があり、その中に一際、細長いビルが見えた。その一角にポツンと赤い看板が掲げられた、ビジネスマン達が比較的多く入店している中華麺の立ち食い店に入り、看板メニューと思われる中国麺を頼んだ。

店の角に置かれたテレビの上には真っ赤に装飾された土台に長い髭をした商売の神様の像が祀られた中国式の神棚があった。その下のテレビでは少し濃い目のメイクをした妙齢の香港女性アナウンサーが、キビキビと株価や為替の値段を伝ていた。

中国麺は、柔らかく煮込まれた中国風の骨付きの角煮が入っていて麺が、少し柔らかかったが癖になる味がした。

僕が食べ終える頃には昼時を過ぎたのだろう、あんなにいたビジネスマンは1人もいなくなり客は僕だけになっていた。お店のおばさんがテーブルを拭いたり片付けをし始めたのでなんだか気まずくなり足早に店を後にした。

時刻は13時半だった。僕は少し早かったがビクトリアピークという香港の夜景が一望出来る丘に向かう事にした。雑誌や旅行誌で見る香港の夜景はほとんどこのビクトリアピークで撮影された写真だ。

少し早いというのは、ビクトリアピークの百万ドルと形容される夕景と夜景が見たかったのだが、夕焼けまでは恐らくまだ4時間近くある。近くにカフェを探したが、全て室内で生憎、オープンカフェのようなモノは無かった。かと言ってわざわざ探す気にもなれなかったし、他に何かしたい事がある訳ではなかった。僕は少し早くても向こうでお土産を見たりレストランに入ればいいと思い、タクシーを探した。

ビクトリアピークにはバスやタクシーでも行く事が出来るが、僕は赤い車体のピークトラムと呼ばれるケーブルカーで行きたいと思っていた。ケーブルカー入り口は市街地からは近い場所にあって多分ここから30分ぐらいで着く。まあ早くてもいいか。タクシーを止めてピークトラムの近くまでお願いした。

ピークトラムの入り口の受付に行く大分手前でタクシーが止まったのでどうしたのか?と思ったのだけど直ぐに理解した。受付の前は坂道になっているのだがそこに長い行列ができていた。列は一列ではなく数人が横並びで整列していたが、それでも相当な長さをしていた。余りの長さに躊躇した。

タクシードライバーにこのまま頂上まで行くか?と聞かれたが夕焼けまでに余りに時間があるし、まあ、時間をかけてもピークトラムは乗ってみたいと思ったので、「いや、ピークトラムに乗る。」と伝えて料金を支払い列に並んだ。それから2時間は並んでやっとケーブルカーに乗った。

頂上に着いて土産なんかを見ていると30分ぐらいで夕焼けになった。

1時半に出発して良かったのかもしれない。

僕はビクトリアピークの展望台に登った。展望台といっても狭いわけではなく、横に30メートルは長さのある手摺りがあって人々はそこから身を乗り出すように景色を見ていた。僕は最前列で見たいと思ったが、人々に遮られて最前列に行くにはそれなりの時間が掛かった。

そして残念な事に傘を刺す必要の無いくらいだが、霧のような小雨のような微妙な天気になっていた。なんとか最前列を確保した時には丁度夕焼けの絶頂を迎えた。

ビクトリアピークの夕景は残念ながら夕霧にボヤけてはいたが、美しかった。

手前側に高層ビルディングが密集するビル群があり、まるでその高さを競っているようにみえた。そういえば二階建てのバスガイドが香港は狭い国土の為、市街地は購入出来る面積を制限されていて、縦に伸ばすしか出来無いと言っていた。しかしそれこそが、この唯一無二の美しい光景を生み出していた。

ビル群の奥にはなだらかにカーブした河川が横たわっていて水面は比較的穏やかに流れていた。地中海やビーチリゾートのような心が洗われるような色彩では無かったが、大都会の河川としては、充分な青さ有していた。

そしてその上を貨物船がゆっくりと航行しているのが見えた。ビル群の対岸も多少の高層ビルが見えたが、手前のビル街ほどの高さはなく恐らくは住居用と思われる比較的低層のビルが多かった。その奥には凹凸のある山脈が連なっていた。

太陽は、河川の右側の河口の上で棚引く雲の切れ間の中にあって、柔らかなオレンジの光で徐々にビル群や河川、遠くに見える山々を侵食し始めていた。

その穏やかな光は河川の水面にまるでスプーンの裏側に映し出されたように細く長いビルのシルエットを川面に映し出していた。時折、そのシルエットは河川を航行する船舶が作り出す波紋に晒されて揺れて形がブレてはいたが、船舶が過ぎ去って暫くすると何事も無かったかのように平静を回復し、その美しい姿に戻っていた。

高台から見るこの方向の夕景は何事にも変え難い景色で、どこか御光のような神聖な輝きを帯びていた。

しかしオレンジの光は完全にこの景色の全てを埋め尽くしているという訳ではなかった。前方に見えるビル群の対岸の更に先左手に少し開けた場所があり、そこの一部には激しい雨が降っているのだろうと思われる黒い不気味な雲が上空に存在していた。

その雲は稲光を発したかと思うと、マングローブの根のような黄色い枝分かれした稲妻を放出していた。稲光のあと、暫くしてから不穏な雷音が、この展望台にも響いてきていてそのたびに人々は一様に驚嘆の声をあげた。眼前の景色は本当に不思議な景色だった。地球の優しさと厳しさの両方を一度に見せられたような気がした。

そして、地球も僕達のように生命の営みをしていて、呼吸をしているという事を感じさせた。

僕はある程度夕焼けを見て写真を撮り終わると階下のレストランに向かった。混んでると想像したが、コーヒーでも1000円を超えるという強気な料金設定のためか、顧客はまばらであまり並ばずに窓際の席に案内された。そしてそこでコーヒーを頼み、景色を楽しんだりWi-Fiのパスワードを聞いてネットサーフィンなんかをしながら日が沈むのを待った。

2時間くらい待ったかもしれない。やっと夜景になるのを確認して外にでる。

夜になると初夏ではあったが雨という事もあって手袋が必要な程寒さを感じた。夜になっていても少し小雨が降っていたし、展望台は、山肌から駆け上がる風をまともに受ける場所に立地していた。

風と小雨のせいか展望台は比較的空いていて少し待つと最前列が空いた。

夜景は夕焼けとは全く違う景色をしていた。

どちらが好きかは好みの違いのように思えた。夕景に対して夜景は圧倒的に煌びやかで豪華に思えた。その中には縦にHong Kongとイルミネーションしているビルがあったり、全く光を放っていないビルもあった。あちこちのビルの頂上からは青や緑に輝く光線が発せられていて左右に動きながら虚空の空に彩りを添えていた。

中央の河川には赤や紫、青などのネオンのライトアップされたビルの光が水面に反射して、蜃気楼のように揺らめいていた。その色の艶やかさは、まるでこれから特別なパーティに出掛ける淑女のアイメイクのようなハッとする妖艶さを感じさせた。水面には幾艘かの遊覧船が蛍のように動いては手前のビルに遮られ消えて見えなくなったりしていた。

夜景は夕景に比べてどこかよそ行きの着飾った姿のように思えた。

充分に華やかな景色だったが、かと言って過剰に華美な感じはしなかった。小雨が降っていたからかもしれないが眩い人工的なビル群の光は雨粒が作り出す霧に僅かに霞んでいて妖しさのようなものを包み込んでいた。昼間見た黒い雨雲は河川を越えたビル街の上空に差し掛かる程に接近していた。時折、雷鳴を轟かすと、まるでストロボのように瞬き、その一帯のビル群や河川をまるで決定的瞬間を捉えた写真のように断片的にそこを切り取っていた。

僕は出来るだけ長く見ていたかったが5分ほどで、雨が少し激しくなってきたので近くの軒下に避難した。もう夜景を見るのは諦めようと思った。

「生きていればいつかまた来れる。」

いつも旅先で未練を残して立ち去らないといけない時に呟く台詞だ。どうやって帰ろうかと考えていたら目線の先にバス乗り場が見えた。近くにバスチケット売り場があったのでバスチケットを買った。バスはホテルの近くまで行くようだった。暫くそこで待ってバスが発車する時刻の数分前に飛び出して雨に濡れないようバスに走った。

バスに乗り込んで窓際の席を確保すると先ほどの雨がかなりの激しさを増していて、車窓の雨粒は500円玉くらいの大きさをしていた。

バスが発車すると、ピカッと車内が光ったかと思うとすぐに雷鳴がした。その間隔の短さから直ぐ近くに落ちた様に思えた。車内に喚声が響いた。

もしかしたら夕方に見たあの雷鳴を伴った雨雲なのかもしれないと思った。

車窓からは雨で右往左往する人々と雨粒に滲んだ展望台の光がぼんやりと見えた。

僕は、またいつかこの場所に来る事が出来るのだろうか?

今度はどこか遠くで雷鳴が聞こえた。

 

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コメント

  1. ピレッティ より:

    ケーブルカーとバス。さっきまで居た街の喧騒をビクトリアピークからの俯瞰する。旅先での別れは人じゃなく、こうした風景や景色でもあるのだなと納得しました。ー 生きていればまた来れる ー この言葉が心にのこりました。

    • motto motto より:

      素晴らしいコメント有難うございいます!ピレッティは、細かく文章見ていただいてますね!参考になります

  2. つばさ より:

    ひしめき合いながらそびえ立つビル、ネオンの夜景。
    一見すると汚らわしくも怪しいサイバーパンクな世界観を醸し出していますが、街を俯瞰してみると人工美に変わる。

    不思議な街ですよね。

    私は雑然としたビル群が大好きなので、是非一度香港も訪れてみたいものです。

    ビクトリアピークからの展望が詳細に書かれていて、あたかも自分がそこにいるような感覚を覚えました。

    「生きていればいつかまた来れる。」

    素敵な言葉ですね。

    • motto motto より:

      つばささん

      香港って本当に不思議な街です。
      シンガポールは東南アジアの何処かの街と似てる部分あるんですが、香港は中国本土の都市にもアジアのどの都市にも似てなくてでも、雑然とはしている。。。そこにいる様な感じになってくれたのは文章作った甲斐があります!有難う御座います。

  3. asainthesky より:

    雷雨のせいで100万ドルの夜景をゆっくり見れなかったんですね。
    でも、雷雨の中見る妖艶な夜景もそれはそれで趣を感じますね。
    生きてればいつかまた来れます。また行った時は教えてください(笑)

    • motto motto より:

      コメント有難うございます!雨のせいでゆっくり出来ませんでした。。。
      次は、ゆっくりと見たいですね。。
      行きたい場所が一杯あるので、いつ行けるのか?というのはありますが、、、

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